司馬遼太郎さんの「以下、無用のことながら」の中に文化と文明の記述がある。私流に勝手に解釈すると文明は普遍的な要素を持っていて、民族(=文化)を超越している。文化はそれぞれの民族の特異性のようなものであり、個性で必ずしも合理的なものとは限らない。てな感じとなる。 |
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おきなわワールドで「エイサ」を見た。とてもリズムカルで楽しいものだった。豊作の祈願の要素もあったらしい。
文化の中ではピアノがあったり、ギターがあったり、バイオリンがあったり、沖縄のような三線もある。どれも個性的で楽しい。どれが一番と決め付けることもないだろう。文化だからそれぞれの好みの問題になる。 |
私は沖縄の町並みを右の写真のような感じと勝手に想像していた。しかし、今はもうこうした瓦屋根の家はほとんどなくなってきているという。こうした家は台風でやられることが多かった。アメリカ軍のコンクリート建ての家は台風に強かったので、沖縄の家もどんどんアメリカ風に白いコンクリート建てで、2階に広いテラスのある家になっていったという。これはバスの中のガイドさんの話である。 |
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ホテルから那覇市内を写真で撮ってみた。白いコンクリートの家がたくさんで、南ヨーロッパの雰囲気であった。
私流の文化と文明論の勝手な解釈によれば、やはり台風に強い家は「良いものは良い。アメリカの良いところはしっかり学ぶ」ということかと思った。
コンクリートの家が新潟でも良いならコンクリートの家を作ってもとくに問題はないだろう。 |
文化に属するものだと思ったのはお墓である。沖縄のお墓はとても大きくて立派であった。とても費用もかかっていることだろう。
しかしお墓は文化の問題だから、立派だからといって、私が新潟で同じようなお墓を作ることはないだろう。かりに作ろうと思っても親類や仲間が大反対するだろうし、たぶん私自身そんな気もおきないだろう。
お墓といえば、長崎県に行ったときもお墓の色が黒い石で金色の字が書いてあったのはとても異様な感じを受けた。
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文明は受容できるものは受容して、みんながうまく暮らせるように活用することが大切であろう。しかし文化に関することはそれぞれの民族や地方の個性に関することであり、「これが正しい。あれが間違っている。」といった問題ではなさそうだ。こうした文化の個性に関することに「正論」が出てくると物事がやっかいになるのではなかろうか。
今論議していることは文化に関わることなのか、文明をうまく利用することなのかを考える必要があることと感じた今回の旅行であった。 |